【元首相】安倍晋三と昭恵夫人の馴れ初めはパブ!子供がいなかった理由とは?

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元首相の安倍晋三さんは、内閣総理大臣に2度就任しています。

通算在職日数は3,188日で歴代1位(2022年現在)と、長きに渡り日本のトップとしてご活躍されました。

そんな安倍晋三さんを長きに渡り支えてきたの昭恵夫人との馴れ初めは原宿のパブ。なんか意外ですね。

また、お二人の間には子供は生まれていません。

そこで今回は元首相の安倍晋三さんと妻の昭恵夫人について、

  • 馴れ初めはパブだった
  • 子供がいなかった理由

この2つについてお伝えしていきます。

では本題に入っていきましょう。

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目次

安倍晋三と昭恵夫人の馴れ初めはパブだった

安倍晋三‐昭恵夫人‐馴れ初め1
出典:Instagram

安倍晋三さんと昭恵夫人は1984年に知人の紹介で出会いました。

安倍晋三さんと昭恵夫人が初めて出会った時のお互いの印象をインタビューで語っています。

安倍が昭恵と初めて出会ったのは1984年、原宿のパブでのことだった。当時、電通に勤務していた昭恵は、安倍の友人に「良い人がいる。会ってみないか」と紹介された。昭恵の第一印象を安倍は、こう語る。

「家内は約束の時間に30分ぐらい遅刻して来てね。ずいぶん待たせるなと、第一印象はあんまりだった(笑い)。だから最初は私もむっつりしていた。こっちは8歳も年上だしね。ただ、話は非常に合って、面白かった。印象は良かった。それで、もう1回会うことになり、その後は食事をしたり、一緒にゴルフに行ったりとか」

 一方、昭恵の第一印象はこうだ。

「良い人だとは思いました。でも、政治家の家庭は大変な気がして、お付き合いをするのも最初は気乗りしませんでした」

引用元:週刊ポスト

ずいぶん待たせるなと、第一印象はあんまりだった(笑い)
ただ、話は非常に合って、面白かった。印象は良かった

良い人だとは思いました。でも、政治家の家庭は大変な気がして、お付き合いをするのも最初は気乗りしませんでした

場所は料亭や高級レストランかと思いきや、原宿のパブだったのです。意外ですね。

2人を引き合わせた『知人』とは、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏。当時昭恵夫人が務めていた『電通』の上司でした。

出会って話をするのはこの時が初めてでしたが、実は2人はそれ以前にも面識があったのです。

そのことを濱岡博司氏がインタビューで語っています。

「それ以前にも2人は良家の子女の集まりで面識があって、晋三は“話したことはないけど、彼女はスラリとし、遠くから見てカッコいいんですよ”と言っていたね

引用元:デイリー新潮

気乗りせずに遅刻してきた昭恵夫人とは対照的に、安倍晋三さんは会う事を楽しみにしていたんですね。

もしかしたら安倍晋三さんは昭恵夫人に『一目惚れ』をしていたのかもしれませんね。

こうして出会った二人は、2年の恋愛を経て結婚しました。

その事はこう報じられています。

政界のプリンスの次男と財界のサラブレッドのお嬢様との結婚は、安倍晋太郎氏の「閨閥(けいばつ)作り」では、との憶測も呼びかねないものだった。

しかし、実際は共通の知人を介して知り合い、交際2年を経て晋三氏がプロポーズ、という正真正銘の恋愛結婚だった。

引用元:デイリー新潮

政略的なものではなく、恋愛期間があっての純粋な結婚だったのです。

仲が良い夫婦だと評判になるのも納得できます。

こうして結婚した2人ですが、子宝には恵まれませんでした。

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安倍晋三と昭恵夫人に子供がいなかった理由

安倍晋三‐昭恵夫人‐馴れ初め2
出典:Instagram

安倍晋三さんと昭恵夫人との間には子供は生まれていません。

子供がいなかった理由は、最初から欲しくなかったわけではなく『子宝に恵まれなかった』からなのです。

昭恵さんが安倍首相と結婚したのは24歳の時。当初は「子どもは自然にできるだろう」とのんびり構えていたが、そうはならなかった。

引用元:AERAdot.

不妊治療が辛かった

昭恵さんは三箇所ほど不妊治療に通ったこともあったものの、妊娠には至りませんでした。

不妊治療の辛さについてインタビューで語っています。

不妊って女性が悪いって思われるじゃないですか。だから、罪悪感じゃないですが…周りから…いろいろと言われて」と答えながら、涙を浮かべて言葉を詰まらせた。「私は自分の人生はこれでもよかった」と気丈に振る舞ったが、酒席で選挙区の後援者に「人間としてダメだ」「ワシが教えにいっちゃる」などといった言葉を投げられたことも明かした。

引用元:産経新聞

不妊治療それ自体が辛い事だと言われていますが、そんな中で後援者からのプレッシャーもあり大変な思いをしたんですね。

養子という選択肢も

不妊治療をしても子供を授かる事が出来なかった安倍晋三さんと昭恵夫人は、『養子』という選択肢も考えたそうです。

その事について昭恵夫人がインタビューで語っています。

首相とは養子という選択肢についても話し合ったが、

そこまでする必要があるのかなと養子をもらって、その子1人にすべてを捧げるより、もしかしたら違うことをやるべきなのかもしれない、と思った」

という。

 自身の子どもを持たなかった昭恵さんだが、ミャンマーでの寺子屋づくりを支援し、バングラデシュでは女子大設立に尽力した。いまは、

困難な状況にいる子どもにとって生きていく希望になる

 ことが、自らの生き方だと考えているという。

引用元:AERAdot.

不妊治療を諦め、『養子』についても話し合いましたが、そこまでする必要があるのかと疑問を抱き、自分達の子供は諦めたという事なんですね。

そしてそれよりも、『困難な状況にいる子供の希望になる事』を自分の生き方としてそこへ注力していったのです。

自分の不妊の辛さを乗り越え、子供たちの希望となる事を目指せたのは、昭恵夫人を安倍晋三さんが支えて見守ってきたからなのでしょうね。

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まとめ

今回は元首相の安倍晋三さんと昭恵夫人の馴れ初めや子供がいなかった理由について注目してみました。

幸せな夫婦生活だけではなく、大変な苦労も経験していたのですね。

恋愛を経てご結婚されたお2人が支え合いながら様々な困難を乗り越えてこれたのは、お互いを尊敬し尊重していたからなのでしょう。

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